ルワンダで大虐殺が行われたのは今から14年前・・・。
そのルワンダに出張に行っているダンナは、この土曜日、
虐殺記念館へ行って来たそうです。
概略は知ってたけれど、私は「民族紛争」だと思ってました。
でも、実際は違ってたのです。更に大きなショックでした。
その後、私も自分でちょっと調べてみました。
元々は王に仕える階級の人達を「ツチ」、大半のそれ以外の
人達を「フツ」と区別していたのだそうです。「ツチ」は富の
象徴である家畜を保有し、「フツ」は農耕を営んでいたのです。
社会階級なので、裕福な「フツ」の人は「ツチ」になったり、
貧しい「ツチ」が農民の「フツ」と結婚する場合もあったりし、
境界は絶対的なものではなかったそうです。そして、
大農と小作人の様な主従関係が社会に浸透しており、人々は
相互利益の関係で共生していたということです。
でもベルギーの植民地になった際に、この社会階級が『民族』
へと制度化されてしまったのです。宗主国ベルギーによって、
所有する牛の頭数や外見で、「ツチ」と「フツ」という『民族』が
決定されたそうです。そして少数派の「ツチ」を優遇する政策を
執り、「ツチ」と「フツ」を対立させていったというのです・・・。
ベルギーはルワンダが独立ムードになると、今度は多数派の
「フツ」と同盟を・・・という、またしても勝手な姿勢を取りました。
そして1962年、ベルギーはルワンダの独立を承認。
ルワンダ独立後に政権を執った「フツ」は、「ツチ」の排除を
行った為、何十万人もの”ルワンダ難民”が生まれました。
その後に続く、ルワンダ内戦、そして大虐殺・・・。
虐殺に関しては、西欧諸国の様々な思惑が事態の鎮圧を
遅らせた面もある・・・等、これまた色々ある様ですけれども。
歴史を辿れば、元々対立したり敵対したりしていなかった人々を
自分達の都合の良い様に『民族』として分け、対立の”元”を
作ったのは、ルワンダの人々ではなく、第三者である宗主国、
ベルギーだった・・・って事じゃないですかっ!
第三者である宗主国や先進国に翻弄された国、又は今も翻弄
されている国・・・こういった事実には驚きと怒りが込上げます。
念入りに計画されたとみられる大虐殺の悲惨さは勿論のこと、
今迄知らなかった事実も頭をグルグル廻り、昨日はなかなか
寝付く事が出来ませんでした。
人間って、なんて恐ろしくなれるんでしょうか・・・。
これまで10年以上、平和と再建が続いているというルワンダ。
今後もずっと平和が続きます様、祈らずにいられません。
*今日の記事は写真なしです・・・スミマセン。

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